2020年1月▲奥多摩~大菩薩嶺/1泊2日 [大菩薩嶺]
福ちゃん荘は三が日後も営業していたそうです。「ロッヂ長兵衛」はお休みでした。バスもこないので、裂石まで東から西へ横断するように行きます。冬季通行不可の車道を歩くしかないのかなと思っていたら、ちゃんと登山道がありました。標高の下がるこの地帯のほうが獣の出没頻度が高いらしい。危なくも変哲もない登山道ですが、苔のびっしり生えた丸く磨かれた巨石群を抹茶のお菓子に例えたり、切通に積もった枯葉のプールで遊んだり、ぐにゃりとベッドのように曲がった大木に乗ってみたり、自然を満喫して歩きました。
【持ち物】
・着衣…ジオライン極厚、長袖カットソー、フリース、ソフトシェル、+夜にダウン
・寝袋…モンベルダウンハガー800#0
・食事…おでん、ウィンナー、酒、五目ご飯
■一日目
初日の出には間に合わなかったがご来光を見に大菩薩嶺へ。
奥多摩から大菩薩嶺までは関所抜けの山道で明治初期まで使われていたということで、どうしても牛の寝尾根を歩いてみたかった。
奥多摩は去年の豪雨で役所までの橋が壊れたということで、いつものバスは役所前まで行かず、小管の湯へ回ったので、その一つ前の田元で降りました。しかしこれがとんでもない時間のロスに!
なんと登山道がほんのちょっと歩いただけで、車道に出た先で消えていた!あっちをうろうろこっちをうろうろ、どうしてもGPSが示す場所に道がない。しょうがないので車道を登り切ると、個人所有地のような場所に出てしまう・・・。結局、かつて登山道の階段であっただろう石段が三段だけ残っている斜面を見上げると、ところどころ木々にピンクのリボン。どうみても林業の人の目印っぽいなぁと思いつつ、ということは人が登れないことがないはずと思い、斜面を這うように登りきりました。
すると、出ました出ました。きれいに整備された登山道が。上には広い作業道と登山道がわかりやすく存在しておりました。運転手さんも気軽に「行ってらっしゃい~」と言って送り出してくれたので、もしかしたら登山口が崩壊していることを知らないのかもしれません。また、私たちが知らないだけで巻き道が用意されていたのかも。なんにせよ30分くらいはロスしました。
狩場山を越えると「牛の寝通り」。その後も榧ノ尾山や玉蝶山など小ピークをいくつか越える牛の寝尾根は、穏やかな何の変哲もない山道で、展望もないことから長く単調です。このため、人気がないのも頷けます。
しかし、この日の出会ったのはたったの二人。山を独り占めしているような解放感と静かで穏やかな山行は魅力的で、落ち葉のじゅうたんの音、鳥のさえずりの近さなどは格別です。
いよいよ玉蝶山(1700m)を超えた辺りから雪道に。チェーンスパイクを装着しましたが、積雪20センチほどなので慣れている人は必要ないかもしれません。
石丸峠に出ると一気に展望が広がり、富士山が10時の方向にいきなり現れます。思わず感嘆の声が漏れる。
頻繁に猪や鹿の目撃がある「熊沢山」という恐ろしい名前の小ピークを越えると、大菩薩峠。カラスや鹿の鳴き声がほうぼうから聞こえ、一気に夕暮れの哀愁が漂い始めます。風も出てきて気温は-10℃くらいに。夕焼けに染まる富士は雲がかかり、その姿はすっきりとは現れませんでしたが、薄暮の中しばらく甲府盆地と富士を眺めていました。
賽の河原避難小屋に宿泊しましたが、扉が壊れており、半分ほどしか閉まらない鉄板を戸口に立てて冷気をふさぎます。
夜は-15℃ほどに下がり、風も強く軽く雪が降りました。時折外からガサガサ、ガラガラと石が落ちる音も聞こえましたが、風なのか獣なのかはわかりませんでした。
賽の河原避難小屋に宿泊しましたが、扉が壊れており、半分ほどしか閉まらない鉄板を戸口に立てて冷気をふさぎます。
夜は-15℃ほどに下がり、風も強く軽く雪が降りました。時折外からガサガサ、ガラガラと石が落ちる音も聞こえましたが、風なのか獣なのかはわかりませんでした。
■二日目
起床4:00。あまりの寒さに寝袋から出れませんでしたが、ご来光を見るためにここまで来たのだ!と自分を鼓舞し、まずは食事。
用意もそこそこに日の出前の06:40。夜が白み始めたと思ったら、直後に見事なブルーモーメント。日の出の直前、白から青が増すこの一瞬がとても不思議。太陽は新雪にまぶしく、思わず万歳三唱を繰り返しました。
その後も見事に晴れ渡る眺望。「親知らずの頭」が一番富士が大きく見事に見えます。賽の河原から雷岩までが眺望が良い。軽く新雪が降りつもり、サクサクきらきらと気持ち良い。
福ちゃん荘です。行動食のパンやコーラも売ってました
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