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2021年9月▲八峰キレット~不帰ノ嶮/後立山縦走5日間 [北アルプス(長野・富山)]

【行程】
・総距離54.9km/標高差:上り7882m、下り8257m
・後立山テント泊縦走…爺が岳~鹿島槍ヶ岳~五龍岳~唐松岳
【装備】(日中15℃、夜6℃ほど)
行動中…Tシャツ、アームカバー、ソフトシェルかレインウェアで防風
寝具…モンベルダウンハガー800ハーフレングス+フリース一枚で充分、エアマット、エバニューFPマット100

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■一日目(扇沢~冷池山荘テント場)
種池の名物ピザは時間が合わず食べれず(10:00~14:00)。
コロナ対策でベンチの横半分を板止めしていて、ザックが置けず不便でした。斜交いで相方と座ることになり、クッカーのやり取りなどもスムーズにできず不便。見ず知らずの人と対面で座ることは無いと思うので、意味が無いように思う。
爺が岳は絶景。遠く、槍ヶ岳まで一望できた。ハイマツと白い砂地が作る景観は草原のよう。テント場と冷池山荘が遠いので、受付時にしこたまビールと水を購入する。一時的に20キロ近くになり、ザックが片寄り揺れる揺れる。しかもなかなかの急斜面とざれた細い道があり、このときが一番辛かったかも(笑)。

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二日目(冷池山荘~(八峰キレット)~鹿島槍ヶ岳~五竜岳~五竜山荘)
鹿島槍ヶ岳、絶景。八峰キレットはそれほど高度感はなく危険を感じず。核心部に入る手前の北峰からの下りで鎖のない箇所があるが、意外とそこが危険かも。
逆に有名なキレット小屋近くの梯子やトラバースの鎖場は、丁寧に歩けばそれほど難しくはない。
その後の五竜までのG4・G5も、手足を使う岩場だが、特に登りだと危険は感じない。G1までのざれた登りが昇りづらく、常に強風であおられて低体温になりやすい。
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鹿島槍
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五竜岳の連なり
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あきのまつむしそう


三日目(五竜山荘停滞)
雨と霧のため、五竜山荘のテント場で一日停滞。Tシャツを買ったりテント内で珈琲を飲んだりとテント生活を満喫。しかし動かないため体が冷え、とにかく寒かった。
四日目(五竜山荘~天狗山荘)
五竜から唐松の不帰ノ嶮はビビり倒していたけれど、2峰のみが危険なので距離が短く、体力はそれほど消耗されなかった。下り基調になるので、高度感にヒヤリとする場所が2.3箇所。そういう箇所に限って足が届かず肝を冷やす。「天狗の大下り」を登攀中、八方池側にお花畑あり。蝶やトンボ、蜂が飛び交い美しい。
八方尾根が見える地点で「やっほー」ならぬ「はっぽう~」と叫んでみる。返事なし(笑)。
いずれも剣岳など岩場を経験していれば進退窮まるような箇所はない。しかし雨だと危険度は4倍増しになると思う。天狗ノ頭まではのどかな風景で、さながら地獄から天国へ来たようで凄く感動した。
2峰が下りになるが、こちらからのルートを薦めたい。きっと、天狗を越えたときに感動する。

途中、にっぽん百名山のロケ隊に遭遇。ガイドの方が何度も同じルートを登ったり降りたり大変そうでした。追い抜いたら、ドローンが追いかけてきました(笑)
天狗山荘でテント受付したところ、「撮影隊をみかけなかったか」と聞かれた。到着時間が遅れていたので心配していたらしい。
天狗山荘はテント場の人も自炊できる外土間のような場所があるので便利。自販でビールも買えます。外の雪解け水が、水場です。ここのテント場は景観が最高。朝靄の中、雷鳥の鳴く声が聞こえましたが視認できず。
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不帰を振り返る
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大きな鳴き声のはるぜみ(中央2021kaerazu12.jpg
不帰を通過中、右手の八方尾根をみやる
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だいもんじそう
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天狗の大下りをのぞむ
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■五日目
暴風雨の中、下山を決行。休暇は残っていたが、お金と飯が不足してきたため(山小屋からは危険なのでお代は要りませんから停滞した方がいいのではなどの優しい言葉はない)。一日停滞して更に悪くなったら…という不安もよぎる。朝、めちゃくちゃ冷え込む。
天狗山荘から出発したロケ隊も同時刻に出発。期せずして、一行のしんがりにつく。
この縦走中、毎日夕方から必ず強風と霧と雨。この日は時速20キロの風だったらしい。
白馬山荘に着くと山岳警備隊の若いあんちゃんたちがいて、今季解散のため山小屋に挨拶していた。白馬大池を回るより大雪渓を下る方がましだと思う、自分らもそちらを行くと言われる。
震える手で立ったままあんパンを食べ、冷たい水を飲み、出発。

●大雪渓で助けを呼ぶ声
大雪渓前のお花畑で雨足は弱まるが、石も多いため滑る滑る。大雪渓はべんがらが引かれているが雨でぬかるみ、霧で視界不良でなかなかスリリング。チェンスパもないので、キックステップでなんとか雪を歩く。
ところどころ夏道になり、岩や砂利が露頭していたりして歩きにくい。
途中道を外れた人の助けを呼ぶ声を聞き、夏道へと誘導する。
猿倉山荘手前でまた土砂降り、冷え切った体をやっと暖められる!とうどんを注文するも、山小屋の方から「雨量での通行止めが心配だから、食べないでタクシー呼んだ方がいい」と言われ、タクシーを呼んでもらう。あぁ…うどん!
タクシーの運転手は、昔東京で働いていて、お菓子などをテレビ局に届けていたという。昔はルーズだから、人が足りないとき、そのまま観覧者やボランティアとしてお願いされたこともあったとか。
そんな話を聞きながら、なんとか濡れ鼠で白馬に帰ったのでした。
【小屋情報】
▼種池山荘(※冷池も同じ内容)
・昼食(10:00~15:00)…カップラーメン450円 、生ラーメン1000円、カレーライス1000円、ピザ(種池のみ)
・売店…インスタントのホットコーヒー(200円)、ジャムパン&あんぱん、ポカリのペットボトル500ml(400円)、ビール500ml※キリンのみ(800円)、水ペットボトル500ml300円、2liter400円
▼キレット小屋(docomo電波O.K.)
・売店…カップコーヒー、カップ麺、ビール
▼五竜山荘(docomo電波O.K.)
・昼食(10:00~14:00)…内容不明
・売店…パン200、キットカット一個50、ビール350ml700、ポテチ/バタピー200、お茶ポカリ500、ミニコーラ200、水500ml300、2liter700、チーザ300、チョコクッキー300
▼唐松岳頂上山荘
・売店…珈琲550、パン400
▼天狗山荘
・売店…チーカマ100、ポテチ200、カップラーメン、ビール350ml600円、水2liter700円
【課題と失敗】
・軽量化で削ったサンダル、傘は下山後に必要だった。
・手袋は汚れている場合は、次の日が雨予報であれば、乾かなくても洗っておいたほうがいい。濡れると土汚れが染みだして、触るボトルのキャップや服が汚れてしまう。

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房総・小湊&いすみ線~歴史めぐり [旅行]

五井駅で小湊といすみ鉄道乗り放題の【房総横断乗車券1700円】を購入。
神社巡りが好きな友人と一緒にめぐりました。

①11時08分 国吉駅着
高秀牧場でピザとアイスを。ピザは人気でお昼の時点で1種類だけしかありませんでした。 牛舎は要予約でないと入れませんが、小高い山に広がる牧草地沿いに草をはむ牛を近くで眺めることができました。
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②国吉神社・出雲大社 13:15~13:45

国吉神社の方が創建は古い。地元の方のお話によると、出雲大社は幕末の長州征伐のときに出征した斧嶽という者がその怪力を認められて出雲大社の神官二人を携えて帰郷したということです。こちらは大国主の御子神が祀られているので、親子が揃って祀られている珍しい神社とのこと。

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>>引用
千葉県中央部がまだ上総国となる1500年の昔までこの地域はいくつもの小国に分かれており、長生・夷隅地域を伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)が治めていました。第27代安閑(あんかん)天皇の御代、国造は春日皇后に屯倉(みやけ)(御料地)を献上し、現在の神社の鎮まるいすみ市苅谷の地に勅使を迎える為の仮屋(かりや)が設けられ、後にこの仮屋跡に伊甚国造の祖である天穂日命(あめのほひのみこと)(出雲国造の祖でもある)と建比良鳥命が仕えた大国主命の御子神である健御名方命がまつられたのが始まりです。後に各地の神々が合祀され国吉神社と称されるようになり、厄除け・八方除け・交通安全・家内安全の神社として信仰されています。国吉神社の隣には健御名方命の親神にあたる大国主命をまつる出雲大社が鎮座します。幕末の作田村に斧嶽(ふがく)と号する人並みすぐれた怪力と才知の持ち主がおり、その怪力ぶりは米俵二俵を背負い、両手に一俵ずつさげて持ち、口に一俵をくわえて持ち歩いたと伝えられる程でありました。長州征伐の際、幕府軍の目付役となった村の領主は、強力無双の斧嶽を従者に選び島根県へと到着したが戦はすでに終わり、折しも出雲大社の奉納相撲が催されており、斧嶽はその相撲に加わり無敵の強さを示した。あまりの強さに千家宮司は神業としか思えないとして斧嶽に神璽(みしるし)を授けました。故郷に帰った斧嶽は仮殿を設け篤く信仰し、信者は日増しに増え、現在地に明治二十四年に神殿を完成させ翌年には盛大な遷宮式が行われました。


③14:07 国吉駅発
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④15:18~18:30 養老渓谷めぐり
●里見八犬伝の富士山宝林寺
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https://www.kominato.co.jp/tourism/yorokeikoku/horinji-temple/index.html
戦国時代、房総で勢力を誇った里見氏ゆかりの曹洞宗のお寺です。里見家6代義尭の長女の種姫が、1564(永禄7)年第二次国府台合戦で北条氏に敗れ、25歳の若さで戦死した夫の正木信茂の菩提を弔うため、七堂伽藍を備えた寺を建立したのが始まりとされています。 ぶっちゃけ寺の住職がいらっしゃるということでしたが、残念ながらご不在でした。

●出世観音立国寺
http://shusse-kannon.life.coocan.jp/
源頼朝ゆかりの寺。頼朝の信仰篤い観音様を配置。彼がのちに鎌倉幕府を樹立するために立身出世したことから、そのご利益を求め参拝者が多いとのこと。
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>>引用
源頼朝公は、義朝公の三男として生まれ、13歳で父とともに平治の乱に出陣し、敗戦して東国に逃れる途中捕らえられ、伊豆国蛭ガ小島に流された。ここで流人生活を送ること20年、この時、伊豆山権現別当をしていた覚淵の勧めにより、持仏の観音様に法華経の観音経を唱えるようになった。その後、高尾山神護寺の再興を志し、後白河法皇に寄付を強要したことから、伊豆に流された文覚と知り合う。 文覚は、たびたび頼朝のもとを訪れ挙兵を勧めたといわれる。また、平家一族の横暴に耐えかねていた周辺武士の要請もあり、祈願の半ばであったが観音経800巻の成就をもって、治承4年(1180)8月平家討伐の旗揚げをした。

●弘文洞跡
中瀬遊歩道を歩くと途中で行き止まりでした。残念ながら共栄・向山トンネルから回っても、川にかかる飛び石に流木がひっかかり展望台までいけませんでした。

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●共栄・向山トンネル
SNSなどで広まった二段式トンネル。溪谷側から戻ると普通のトンネルに見えるので注意。

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⑤19:21 養老渓谷出発

夏は日没が遅いのでこの時間までいられました。 ちょうど蛍の季節で期待しましたが、地元の人によると昔は駅前近くの田んぼで見られたそうですが、現在は見られないそう。致し方ないのでそのまま帰りました。

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