黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳~仙丈ヶ岳/テント泊縦走③ [▲山梨県の山]
JR韮崎→黒戸尾根→七丈小屋でテント泊→甲斐駒ヶ岳~北沢峠△長衛小屋でテント泊→仙丈ケ岳ピストン→林道バス経由でJR伊那北駅へ
●三日目
夜明けから仙丈ヶ岳へ。つづらおりの樹林帯を抜け小仙丈ケ岳が見えてくるとなだらかな丘が見えてきます。
振り返ると富士山、鳳凰三山、雲が多めでしたが山頂は360℃の展望。槍ヶ岳も穂高も見え、最高の天気。
カールを周り、仙丈小屋側へ降り、ここでもトイレ休憩。
小仙丈ケ岳から同じ道を下るか迷いましたが、馬の背ヒュッテ方面に下りました。
こちらでは仙丈ヶ岳のカール全体を眺めることができました。沢を何度か渡るし雪渓もあるので、涼しむことができます。
帰りは林道バス→ジオタクシーで高遠(事前電話予約、一人2000円)→JR関東バスでJR伊那北駅(無人駅)へ。仙流荘のお風呂で汗を流し、久々に瓶の牛乳を飲んでさっぱり&ゆったり。
※メモ
・千丈小屋…昼飯なし、カップラーメンのみ。トイレきれい。
・こもれび山荘…昼飯はおでんのみ。売店あり、スナック、カップラーメン系あり。地ビールあり。7月からアイス。
・仙流荘…売店、お風呂、食堂すべて現金のみ、クレカ使えず。昼飯14:00まで、メニューは豚カツ、揚げ物多し。湯舟にいく途中の廊下まで土足で上がっていいことになりました。残念ながら、ビールが冷えていません…。
※交通情報
・ジオタクシーを経営している白川タクシーはクレカ使えず。
・JR伊那北駅無人。飯田線の車掌による車内精算。現金のみ、交通系IC使えず。
ミヤマキンバイ
仙丈小屋のテラスは解放感
沢でポカリを冷やす
黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳~仙丈ヶ岳/テント泊縦走② [▲山梨県の山]
1日目)JR韮崎→黒戸尾根→七丈小屋でテント泊
2日目)甲斐駒ヶ岳~北沢峠△長衛小屋でテント泊
3日目)仙丈ケ岳ピストン→林道バス経由でJR伊那北駅へ
●二日目
すっきり晴れた朝。 甲斐駒ヶ岳へ上る途中、そそり立つ剣の向こうに富士山が見える有名な光景がみられてよかった!
雲海もみられて、富士山も仙丈ヶ岳も八ヶ岳も鳳凰三山もくっきり! 雷鳥にも出会えて幸運でした。
北沢峠へ下る途中、摩利支天へピストンします。
花崗岩のきらめき、青い空、白い岩肌、ここから仰ぎ見る山頂がひと際かっこいい!南アルプスの貴公子とはまさに。
北沢峠から登る人が圧倒的に多いけど、黒戸尾根から登ってここまできた方が達成感もあるし、修験道の一端に触れた気持ちになります。
夥しい石仏、石柱はどうやって持ってきたのか?本当にすごい…。ちなみに結婚記念の奉納鎖もありました。
北沢峠の長衛小屋に昼頃到着も、1/3ぐらいテント埋まっていました。小屋の人に聞くと朝一で100人くらい受け付けたとのこと。 テント張ってデポってピストンする人が多いのだと思いますが、昨今の盗難騒ぎを聞くと私は絶対やらないなぁ。
※メモ
・長衛小屋…ウインナー、おでんなどコッヘル持参で提供。公衆トイレ二棟あり、とてもきれい。売店19:00までですが、ビール自販機が外にあり。 小屋泊の人によると、ご飯がまずいらしい。
黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳~仙丈ヶ岳/テント泊縦走① [▲山梨県の山]
1日目)JR韮崎→黒戸尾根→七丈小屋でテント泊
2日目)甲斐駒ヶ岳~北沢峠△長衛小屋でテント泊
3日目)仙丈ケ岳ピストン→林道バス経由でJR伊那北駅へ
●一日目
まずは念願の黒戸尾根へ! 韮崎駅からバスで「下教来石」行の「道の駅はくしゅう」で下車。
そこから田園風景の中を、登山口まで徒歩1時間。
この日は平日だったため四人ほどしかすれ違わず、静かな山行となり自分のペースで歩けたことも、幸いしたのかもしれません。事前に受けていたイメージよりも、垂直梯子や戸渡りの高度感はありませんでした。
※メモ
・甲斐駒ヶ岳の神社御朱印は、賽銭箱にジッパー付きビニール袋にぶら下がっており、そこにお金を入れて一枚頂くシステムです。
・七丈小屋…テンバと小屋&トイレが五分ほど離れ、急坂&梯子があり缶ビールなどの買い出しがつらい。缶ごみは外にゴミ箱があり。バケツで冷やしたコーラが外にあり、近くの小銭投入箱に料金を入れるシステム。トイレは母屋と離れ、第二小屋の方にあります。まあまあきれい。
こちらには人がいます
かつての売店&受付
鳳凰三山のオベリスクが見えました!
2020年1月▲大菩薩嶺縦走後に武田信玄ゆかりの寺社へ [▲山梨県の山]
実はここは大変な由緒のある寺で、なんと武田勝頼が「天目山の戦い」で敗れた時に残党が逃げ込んだ寺で、あの「風林火山」の孫氏の旗や、勝頼の書状(最近発見されたものらしい)、そして現存する日本最古の「日の丸」が置いてありました。
日の丸は、天喜4年(1056)に後冷泉天皇から源頼義に下賜された物で、頼義の三男・新羅三郎義光から武田家に代々伝わったものだそうです。武田家は、甲斐源氏といって義光を宗家とした一族なんですね。
樹齢700年の枝垂桜の古樹「峰のサクラ」もあり、4月は参拝者も多いようです。
東京・品川にある「東海寺」は住職の修業時代に関わりのあるお寺打だそうです。東海寺は徳川家光が沢庵宗彭を招聘して開山した由緒ある寺です。
住職の師匠はかつて教皇ヨハネ・パウロ二世が来日したときに手厚く迎えた方だそうで、追従したローマ法王の侍従たちの中には、座禅を組む方もいたそうです。カトリックの中にも教義を極めようとすると座禅(己と向き合うこと)に行きつくことがあり、座禅や瞑想を修行に取り込む方もいるそうです。
●子孫の方との出会い
こちらの寺の蔵でお宝を眺めていると、色々と解説してくれる女性が現れました。
何とそちらの方は武田家の家臣の子孫とのこと。私たちがこの後恵林寺に行く旨を伝えると、なんと車で送ってくれるという有難い申し出!徒歩で向かおうとしていたので、かなりありがたかったです。
その女性と、娘さんご夫婦と同乗して恵林寺へ。娘婿さんは、富士山なら何度も登ったことがあり、一日2回登頂したこともあるそうです。
●恵林寺
https://erinji.jp/
念願の恵林寺へ、武田家家臣の子孫の方と一緒に入るという、なんとも凄いイベントになってしまいました。
恵林寺は雲峰寺と同じく禅宗である臨済宗の寺で、これが禅宗様とでもいうのか、檜皮葺の黒ずんだ茶色と白い壁が質実剛健な印象を受けます。大きく、静かな寺でした。
巨大な土間を擁した庫裏は、戦時中に東京からの学童疎開150人を受け入れたこともあり、その釜は平時から僧何百人分をも一度に作ることができたとのことです。
この寺は「心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」で有名な、快川国師が実際に織田信長の焼き討ちにあった三門が同じ場所に建っています。三門には快川和尚の遺偈が掲げられています。そして快川和尚がいまわの際に弟子に渡した焦げた法衣も宝物館に納められてました。法衣を預かり持ち帰った僧は秩父山中に逃れたそうです。
武田信玄公墓所は月命日のときのみ公開、庫裏から続く明王殿には、「武田不動」として有名な、武田信玄公を写したという等身大の不動明王が安置されていました。長年の煤がまとわりついたのか黒さが際立つ、どっしりとした大らかさを感じる明王様でした。武田家の墓所は月命日のみ公開とのことですが、裏手に回ることができました。背面から墓石を拝謁。
柳沢吉保の墓所は柳沢自身の強い願いにより、転封された奈良の大和郡山からこちらに移されたそうです。
宝物館と庫裏の見学であわせて、さまざまなことを知りました。
・武田24将の掛け軸の中で、裏切った小山田だけいない掛け軸が圧倒的に多いこと。江戸時代前期~後期にかけて、外されたり入れられたりする武将がいたこと。
・花菱は武田の特別な家臣のみが使う。直属の家臣ではないが、甲斐源氏の一族で武川衆の流れを組む柳沢吉保の家紋は、花菱。
・武田の槍は、先に人糞などを塗りつけて、相手を破傷風にさせる。
・赤揃えは甲斐武田氏に仕えた飯富虎昌が最初。武田家遺臣を組み込んだ徳川四天王の井伊直政がそれに倣い、「井伊の赤揃え」といわれた。
・真田家は幸隆のころに武田家家臣だったが、武田家が家康に滅ぼされたことから変遷を経て織田信長→豊臣秀吉と仕える武将を変えるが、赤揃えで夏の陣に臨んだことは有名である。
徳川閉廷後、甲斐は徳川家の息のかかる者が治める領地になりましたが、家康は信玄公にまつわる自社を手厚く保護しています。かつて「三方ヶ原の戦い」で辛酸をなめたことから、信玄公への尊敬の念もあったのでしょうか。
また、宝物館には最近発見された「お江」(織田信長の妹・お市の娘、徳川秀忠の正室・崇源院)の墓石が展示されていました。発見…というかずっとあったのに気が付かなったというのが正しいのでしょう。巨大で重たい墓石はまるでエジプトのミイラのごとく、蓋を開けるのも困難な重たさを感じさせました。
2018年6月▲瑞牆山で初のテント泊 [▲山梨県の山]
瑞牆山へは、JR中央線韮崎駅から山梨交通(山交タウンコーチ)で。バスと言っても小型。大型のバンではないので見落とさないように。バスは増富温泉を通り過ぎ、昇仙峡のような沢沿いの道をぐんぐん上っていきます。