SSブログ

2022年元旦▲厳冬期の八ヶ岳・東天狗岳に登頂 [八ヶ岳(長野)]

①大晦日:唐沢鉱泉に宿泊

・茅野駅に宿の車が迎えに来てくれます。※予約制なので、宿泊予約をした際に備考欄に書きます。
・こちら大晦日に宿泊すると、お節料理がいただけます。
・地酒の振る舞い酒があり、自由にお替りができます。
・ビンゴの代わりにコロナなのでくじ引きができます。食堂の外の廊下、玄関先にくじ引きの担当者がいてくださって、そこでくじ引きします。
・しし鍋は頂きたかったのですが、食べきれない可能性があったので断念しました。

茅野駅に到着、駅そばを頂いた後、諏訪大社の木落としで有名な「木落とし坂」を見学。
意外と面積は狭く、また住宅地のすぐ側なので驚きました。

常連客の方々はバスの中で和気あいあい。
このコロナ禍においてピリピリすることもなくゆったりと寛いでいらっしゃいました。
引退した登山愛好家のかた、現役の方などやはり山好きな人が集まる雰囲気。
鉱泉は熱湯ではないものの、熱いお湯が苦手な私にはぴったり。じっくり芯から温まれます。
打たせ湯もあるので、一度ほてりを冷まして再び湯につかるのもいいでしょう。
湯舟の縁には苔があしらわれていて、
また、館内を彩る美しいドライフラワーは、特別な薬剤を使うこともなく自然乾燥で完成するそうです。
八ヶ岳の自然がそうさせるのですね。

浴場隣のビリヤード室併設の談話室は、マンガや小説がたっぷり置いてあり連れを待つ時間に飽きることがありませんでした。ビリヤード室は閉鎖されていました。
P_20211231_152839.jpg
P_20211231_181401.jpg


②元旦:唐沢鉱泉から黒百合ヒュッテでテント泊~東天狗岳に登頂

【装備11キロ
ヤマセンボトル500mlと900ml、寝袋#01、手袋インナー2&オーバー2、靴下替え、アイゼン、ピッケル、ワカン、ストック、サングラス、ゴーグル、銀マット、お茶ペットボトル500ml、紙&非常用トイレ、他細々した機器類
【食事&行動食(2人分)
ラーメン4、ウインナー&カットした野菜、コンソメ、赤飯4、羊羹6、柿ピー&ナッツ類ボトル、ブラックサンダー、カントリーマーム複数個、ポカリ粉2

P_20220101_182057.jpg

朝食のお節料理とお雑煮をいただき、朝風呂にも入ってくつろいでしまいました。
常連客の方々に「頑張って!」と送り出していただいて、いざ出発。
憧れの八ヶ岳ブルーを仰ぎ見ながら、うきうきと雪を踏みしめます。
黒百合に到着後、テントを張る間にどんどん体温が下がっていく。早く歩きだしたくてたまらない。
連れがテントを張る間、トイレに行ったり小屋のお土産を見たりとどうにか暖かい場所をうろちょろ。
じっと待っている方が辛いですね。

中山峠から風に煽られ、午後の稜線は強弱あるものの瞬間風速20メートルは吹いていたと思います。
太陽が出ていたから事なきを得ました。
東天狗岳まではトレースばっちり、西天狗岳までもトレースは目視できました。
寒くなければ、いつまでも眺めていたいほどの青い空に美しい稜線。
西天狗から唐沢鉱泉までの西尾根はどうなっていたかはわかりませんが、途中でお話しした人の中で、大晦日に西尾根撤退した勇者が数人いたのでトレースが残っていたかもしれません。

黒百合ヒュッテに戻ると誰かが作った雪洞が空いてました。
雪洞に入るのは初めてなのですが、外気温よりも10度近くも暖かい!二人で入ると更に5度も上がり、合計15度も暖かく!素晴らしい。
ただ、体温で床がどんどん溶けていき凸凹になるので苦労しました。薄い銀マットを敷いてその上にサーマレスト+エアマットを重ねたのですが、下の雪が溶けてぼこぼこになるので、薄い銀マットがよれたりずれたり滑ったりで難儀。テントのグランドシートを敷いて、ペグを打てばよかったです。

P_20220101_113014.jpg

P_20220101_132819.jpg
中山峠から東天狗岳をのぞむ

③黒百合ヒュッテ~渋の湯に下山

日が昇るまでのんびり。ビーフシチューを食べて帰ることにしました。
その前に小屋の目の前の天狗の奥庭へ続く道を少し登って遊ぶ。
ラッセルが途中までありましたが途中で終了。私たちも時間的にそれ以上先へは進みませんでした。

ケールの演奏練習を聴きながらビーフシチューをいただきました。
ダンシングハイカーさんのフェルトカモシカもゲット。

黒百合ヒュッテの横に雪洞はなんと、小屋の方が登山客に頼まれて作った物だそうです。
なんと雪洞の中でプロポーズしたいから、との理由(成功したらしい)!
すごくロマンチックでいい話なんだけど、…自分で作ろうよ!と突っ込みを入れました。
そしてそのあとユーチューバーが拡張したとか。私たちが去った後は一体どうなったのでしょうね。

【メモ】
・勢い余って、雪と一緒にこめつがの葉を食べてしまった。爽やかな苦みです。
・スマホは、首紐つけて一日目ソフトシェルの胸ポケットに入れていたけれど電源落ちたので、二日目は懐炉と共に胸ポケットにいれました。
・渋の湯のバス停は、1キロ手前で折り返しの臨時バス停になってます。また、最終便は15:02発。
・行動中凍らなかったもの…井村屋の羊羹、ナッツ類、柿ピー。
・エナジージェルはややゼリー状になりました。
・保冷バッグにいれたペットボトルのお茶は、野営一泊の間、ザックの外に出していても常温を保っていました。保冷だけど、一定の温度を保つためか0℃以下にならなかった様子。


P_20220101_112950.jpg
P_20220101_131557.jpg

P_20220102_120241.jpg
P_20220102_112550.jpg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

中山のひな祭り~下総中山 [◇寺社・史跡めぐり]

千葉県下総中山に、ひな祭りのイベントがあるというので遊びに行く。
参道のそこかしこに雛人形が飾られていた。

●清華堂
コロナ対策で中には上がれず、玄関先に雛飾りが飾られていました。

P_20220220_124637.jpg
P_20220220_124838.jpg
P_20220220_130252.jpg
P_20220220_131213.jpg
●法華教寺

鬼子母神=子育ての神なので、ひな祭りと結びついたのだろうか。
寺なのにすべての堂に注連縄。神仏習合の形態がみてとれる。

・鬼子母神信仰。鬼子母神の仏壇とお経を唱える場の天井には結界が張られており、真ん中には「天」の文字、四方には幾重もの式神がぐるりと垂れ下がっていた。
・荒行堂には、幕末期に秘仏を運んだ「長持ち」がおいてありました。幕末、24世日照上人は公武合体で将軍家に嫁いだ和宮からの信任が厚く、家茂病気の際に病気平癒をお願いしたそうです。そして鬼子母神像を京都まで運んで祈祷したとのこと。そのときに使用したものだそうです。
・同じく荒行堂の境内には、加賀前田家の支藩、越中富山十万国のゆかりの梅も。
前田家は菅原道真の末裔とされており、家紋が梅鉢だという。子宝成就の祈願で、九代藩主前田利幹(としつよ)が植樹したという梅が古木としてまだ生きていた。参勤交代で、江戸番の時に訪れたのだろうか。ちなみに荒行堂の扁額も彼の手によるもの。
・法華堂の扁額は、江戸時代初期の書家・本阿弥光悦(1637年2月27日)の手によるもの。熱心な法華宗(ほっけしゅう)信徒の家柄でもあった。

P_20220220_130901.jpg
三門。本阿弥光悦の手による扁額は関東三額の一つといわれているそう
P_20220220_132204.jpg
享保4年(1719)鋳造の大仏
P_20220220_132650.jpg
本院大客殿にて陳列する雛飾り
P_20220220_132834.jpg
P_20220220_142755.jpg
徳川家と御三卿の信任も篤く葵の紋が彫られている
P_20220220_143228.jpg
P_20220220_143244.jpg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

茨城のパワースポット、鹿島神宮と香取神宮 [旅行]

■鹿島神宮

鹿島神宮と香取神宮へ初めての小旅行。
地震を鎮める要石、東郷平八郎の揮毫した扁額、神獣とされる鹿、湖に立つ一の鳥居などなど歴史を感じました。 一の鳥居は厳島神社より大きく、水中に立つ鳥居としては日本最大だとか。
※気をつけたいのが電車の本数。そば屋「よしのや」さんで蕎麦を食べていたら、なんと一時間半も時間があいてしまいました(ちなみによしのやさんも室町時代創業の超老舗)。
片道15~20分ほどかけて一の鳥居へ。初の観光予定にはありませんでしたが、一の鳥居は見に来て良かったです。当時この浅瀬から上陸する信者のことなどを想像しつつ、しばし佇みました。

〉〉神の使いの鹿と「鹿島立ち」
常陸国(茨城県)の鹿島神宮の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)の神使は鹿。
古事記によると、武甕槌命のところに天照大神の使者が来て、「香取神社の祭神、経津主命(フツヌシノミコト)と共に出雲の国へ行き、大国主命に出雲国を私に譲るように説得してきなさい」との神託を告げます。
いわゆる「国譲り」の神話の序章ですね。この時の使者「
天迦久神(アメノカグノカミ)」が鹿の神霊だったということから、鹿が神の使いにされるようになりました。ちなみに、そのとき地名も「香島」から「鹿島」になったとか。

また、武甕槌命は奈良の春日大社の祭神として勧請されて、神護景雲(じんごけいうん)元年(767年)6月21日、鹿島から白鹿に乗って出立して一年ほどかけて奈良の御蓋山(春日大社)に到着し、そこに鎮座しました。春日大社の社司の租、中臣時風(ときふう)と中臣秀行(ひでつら)がそれに随ったとのことです。この故事に由来して旅に出ることを「鹿島立ち」といいようになったとのこと。



P_20220116_094818.jpg
塚原卜伝の像

P_20220116_095815.jpg
P_20220116_100114.jpg

P_20220116_100146.jpg
東郷平八郎が揮毫した扁額
P_20220116_100312.jpg
楼門をくぐって振り返ると、左右に不思議な切り株のようなものが。2012年に境内に生えていた杉の神木の倒木で作ったもので、タケミカヅチの雷をイメージしているとのこと。
向かって右の切株の赤丸は天照大神(太陽)、左の金色の丸は月読尊(月)を表しています。
P_20220116_101418.jpg
柵越しに本殿と神木の杉を垣間見る
P_20220116_102203.jpg
鹿園の鹿
P_20220116_103223.jpg
御手洗池。かつてはここで身を清めたという
P_20220116_104257.jpg

P_20220116_105126.jpg
要石。地中に埋まり全体像は見えません
P_20220116_115622.jpg

P_20220116_122702.jpg


●鹿島神宮と香取神宮の要石・どちらが古い?


鹿島は凹で、香取は凸で二つ合わさって地鎮としているとのこと。
鹿島の要石は、徳川光圀が七日かけて掘らせたものの、まったく全貌がみえなかったため埋め戻したとのこと。当時かなり罰当たりな行為だったかもしれませんが、科学的思考の持ち主だったんでしょうね。
ちなみに電車で話しかけてきた地元のお爺さんが、香取神宮が鹿島より先に建立されたので御利益があると。
鹿島神宮では神武天皇元年、香取神宮の社伝では初代神武天皇18年の創建と伝えるので、一応鹿島神宮のほうが古いとはいえ、地名が香取から鹿島に変わった伝説もあることから、あながち噓とも言えなくない。


●香取神宮

敷地の広さは鹿島よりもずっと小さいですが、参道の賑わいはこちらの方が上。
黒い檜皮葺きの社殿、菊の御紋が渋い。
参道で有名なわらび餅の「岩立」さんで一休みしおみやげも購入。二晩寝かせてもプルプル、風味は損なわれませんでした。参道入り口の八百屋さんは野菜を買ったらおまけしてくれました。全体的に人情味のあふれる場所でした。

P_20220116_144936.jpg
P_20220116_153914.jpg
こちらは凸の要石
P_20220116_142216.jpg


P_20220116_142921.jpg
絶品!
P_20220118_125516.jpg

●佐原の町並み

虎やさんでは虎焼きと苺大福を購入。なんとその場でサービスで餅を焼いてくれました。
元々は京都創業だそうですが、この地で数百年営業している老舗です。
佐原は観光する時間がほとんどなく、町並みを眺めるだけでしたが、17:00ごろ突如放流し始めた水道橋など、人がいないからこその景色は味わえたかもしれません。
日曜日でも営業している飲食店は三店ほどかな? 居酒屋の「だし処 随に(まにまに)MANIMANI」さんは出汁にこだわり。「"最上白みりん"の炭酸割り」という珍しいものをオーダー!甘酒のようなコクのある甘さが、炭酸によりすっと抜けていきました。また、だし巻き卵は出汁の味たっぷり、むしろ砂糖など使っておらず素材の味が引き立ち美味でした。おでんと佐原の地酒に舌鼓、飲んで食べて暖まって帰りました。

P_20220116_163746.jpg

P_20220116_164059.jpg


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

鳩森八幡神社で初詣 [◇寺社・史跡めぐり]

■白鳩の伝説のある、勝運を呼び寄せる神社

https://www.hatonomori-shrine.or.jp/

国立競技場の帰り、ふと思い出して初詣に。
すっかり平和のシンボルとして日本にも定着したイメージの鳩。
古来日本では軍神の使いとされており、こちらの鳩森八幡神社や鎌倉の鶴岡八幡宮など、八幡宮と深い結びつきがあります。

そもそも八幡宮や八幡神社の祭神は「誉田別命(ほんだわけのみこと)」といい、応神天皇と同一視された神。
大分の宇佐八幡宮から京都の岩清水八幡宮へ分祀した際に金色の鳩が導いたとか、八の字が「ハ」と読めるので鳩のハと結びついたなど、由来については諸説あります。
この鳩森神社の一画にこじんまりとした竹林がありますが、この地がかつて森だったときに瑞雲がたびたび現れ白い鳩が西に向かって飛び去って行ったといわれる伝説の場所の名残のようです。
そしてこの鳩たちが神獣とされたということです。

●富士塚
山岳信仰により、富士山に見立てた小山を登る風習の名残です。
きちんと1合目から9合目まであり、須走や里宮まで再現され、小さいながらも意匠を凝らした造りになっています。

P_20220115_163644.jpg

P_20220115_155045.jpg

P_20220115_154356.jpg

P_20220115_155518.jpg

P_20220115_160120.jpg

P_20220115_161552.jpg
鳩の形をしたおみくじ

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー