中山のひな祭り~下総中山 [◇寺社・史跡めぐり]
千葉県下総中山に、 ひな祭りのイベントがあるというので遊びに行く。
●法華教寺
鬼子母神= 子育ての神なので、ひな祭りと結びついたのだろうか。
寺なのにすべての堂に注連縄。神仏習合の形態がみてとれる。
鬼子母神=
寺なのにすべての堂に注連縄。神仏習合の形態がみてとれる。
・鬼子母神信仰。 鬼子母神の仏壇とお経を唱える場の天井には結界が張られており、 真ん中には「天」の文字、 四方には幾重もの式神がぐるりと垂れ下がっていた。
・荒行堂には、幕末期に秘仏を運んだ「長持ち」がおいてありました。幕末、24世日照上人は公武合体で将軍家に嫁いだ和宮からの信任が厚く、家茂病気の際に病気平癒をお願いしたそうです。そして鬼子母神像を京都まで運んで祈祷したとのこと。そのときに使用したものだそうです。
・同じく荒行堂の境内には、加賀前田家の支藩、 越中富山十万国のゆかりの梅も。
前田家は菅原道真の末裔とされており、家紋が梅鉢だという。 子宝成就の祈願で、九代藩主前田利幹(としつよ) が植樹したという梅が古木としてまだ生きていた。参勤交代で、 江戸番の時に訪れたのだろうか。 ちなみに荒行堂の扁額も彼の手によるもの。
・法華堂の扁額は、江戸時代初期の書家・本阿弥光悦( 1637年2月27日)の手によるもの。熱心な法華宗( ほっけしゅう)信徒の家柄でもあった。
三門。本阿弥光悦の手による扁額は関東三額の一つといわれているそう
享保4年(1719)鋳造の大仏
本院大客殿にて陳列する雛飾り
徳川家と御三卿の信任も篤く葵の紋が彫られている
三門。本阿弥光悦の手による扁額は関東三額の一つといわれているそう
享保4年(1719)鋳造の大仏
本院大客殿にて陳列する雛飾り
徳川家と御三卿の信任も篤く葵の紋が彫られている
鳩森八幡神社で初詣 [◇寺社・史跡めぐり]
■白鳩の伝説のある、勝運を呼び寄せる神社
https://www.hatonomori-shrine.or.jp/
国立競技場の帰り、ふと思い出して初詣に。
すっかり平和のシンボルとして日本にも定着したイメージの鳩。
古来日本では軍神の使いとされており、こちらの鳩森八幡神社や鎌倉の鶴岡八幡宮など、八幡宮と深い結びつきがあります。
そもそも八幡宮や八幡神社の祭神は「誉田別命(ほんだわけのみこと)」といい、応神天皇と同一視された神。
大分の宇佐八幡宮から京都の岩清水八幡宮へ分祀した際に金色の鳩が導いたとか、八の字が「ハ」と読めるので鳩のハと結びついたなど、由来については諸説あります。
この鳩森神社の一画にこじんまりとした竹林がありますが、この地がかつて森だったときに瑞雲がたびたび現れ白い鳩が西に向かって飛び去って行ったといわれる伝説の場所の名残のようです。
そしてこの鳩たちが神獣とされたということです。
●富士塚
山岳信仰により、富士山に見立てた小山を登る風習の名残です。
きちんと1合目から9合目まであり、須走や里宮まで再現され、小さいながらも意匠を凝らした造りになっています。
鳩の形をしたおみくじ
https://www.hatonomori-shrine.or.jp/
国立競技場の帰り、ふと思い出して初詣に。
すっかり平和のシンボルとして日本にも定着したイメージの鳩。
古来日本では軍神の使いとされており、こちらの鳩森八幡神社や鎌倉の鶴岡八幡宮など、八幡宮と深い結びつきがあります。
そもそも八幡宮や八幡神社の祭神は「誉田別命(ほんだわけのみこと)」といい、応神天皇と同一視された神。
大分の宇佐八幡宮から京都の岩清水八幡宮へ分祀した際に金色の鳩が導いたとか、八の字が「ハ」と読めるので鳩のハと結びついたなど、由来については諸説あります。
この鳩森神社の一画にこじんまりとした竹林がありますが、この地がかつて森だったときに瑞雲がたびたび現れ白い鳩が西に向かって飛び去って行ったといわれる伝説の場所の名残のようです。
そしてこの鳩たちが神獣とされたということです。
●富士塚
山岳信仰により、富士山に見立てた小山を登る風習の名残です。
きちんと1合目から9合目まであり、須走や里宮まで再現され、小さいながらも意匠を凝らした造りになっています。
鳩の形をしたおみくじ