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2021年12月/熊野古道④~高野山へ [熊野古道(三重・和歌山)]

高野山

一大参詣地として知られる空海が息づく高野山。日中も-4℃、雪も積もり出歩く人もまばら。
正月は普段から店が閉まっていると言うが、この年は更に閑散としていた。
全てくまなく通りを歩いたが、茶屋食事処含め四軒ぐらいしか開いていない。あとは根本大塔近くのコンビニだけ。しかし元々冬は寂しい雰囲気の方が好きな質なので、これもよし。
宿坊を予約できれば京大坂道などの登山道を登りたかった。

●女人堂

ケーブルカーに乗り高野山口でバスに乗り、女人禁制の名残、女人堂で降りる。かつて女性は「女人堂」までしか行くことができず、そこで祈りを捧げた。7つあった堂も現在では不動坂口のみ。明治5年(1872)に女人禁制が解かれたが、実際には明治39年まで続いていたとのこと。 b0eef4a5a2dd48d0a335bc16b9d9de57.jpg
女人堂

●奥の院へ

毎日朝6時と10時半に行われる「生身供(しょうじんぐ)」を見るため、早足で奥の院まで急ぐ。 まだ生きて祈りを捧げているとされている空海(弘法大師)に食事を運ぶという、1200年もの間脈々と続けられている凄い儀式。 御供所から食事が運び出され、味見をするという嘗試地蔵(あじみじぞう)の前に捧げて、2人の僧がその膳を白木の箱に納め、維那という高僧が先頭に立ち御廟へと運んでいく、という一連の儀式を見ることができた。お堂を回ると、空海のこもる廟の前に行くことができる。 御廟橋から先の奥の院までは、「撮影禁止、脱帽必須」です。
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奥の院と壇上伽藍までの道。歴史的な武将たちの奉納した供養塔がそこかしこにある。

●御影堂
御影堂。もとは空海の持仏堂として建立されましたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられた。

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剛峯寺

金剛峯寺内には囲炉裏の間にある襖絵《瀧図》と《断崖図》がある。
ドキュメンタリー番組でも取り上げられていたが、長い年月をかけて日本画家の大家「千住博画伯」が手掛けた。
藍色に茫洋と浮かぶ滝のしぶきが美しい。
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根本大塔。中は密教の宇宙観が展開されている

●弁天岳

その後は一連の高野山の重要箇所を参拝しつつ、大門の脇から最後に弁天岳へ登る。ここも「女人道」と呼ばれる、女人禁制時代の名残。山道から高野山の最重要部「根本大塔」がちらりと眺められる。女性はここから根本大塔を眺め、祈ったそうだ。空海は高野山を弁財天から譲り受けられたとしているので弁財天信仰が厚かったという。となれば、昔から女人にも理解がありそうなものだが、それとこれとは別なのか。 その後は極楽橋駅までの短い区間だが古道の「京大坂道」を歩く。極楽橋は下から眺めると美しい。橋の袂に鎮座するお地蔵様が貴重な皆地笠を被っていた。

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仁王門
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弁天岳へ続く鳥居
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●刈萱堂にはいかないほうがいい

ちなみに刈萱道心と石童丸の悲話・石童丸物語で有名な「刈萱堂」。

ここの坊主(なのかただの売店の主人なのかは不明)は宗教にかかわる人間と思えないほど強欲です。 1本1000円のろうそくを買え、買わなかったら出てけと罵られました。せっかく尋ねたのに最悪の気分になりました。
このお堂は、出家した刈萱道心の息子・石童丸が父を訪ねて高野山まで来るが、父子と明かされる事が無いまま一緒に修行したと伝わるお堂。建物内の周りにこの物語が描かれた絵と解説が飾られています。

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