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2021年12月/熊野古道③中辺路~小辺路 [熊野古道(三重・和歌山)]

■中辺路(大雲取越~小雲取越)

朝起きたら一気に雪が深くなっていた。
チェーンスパイクを履きましたが、新雪で踏み跡もほぼなかったため、靴底にだまになり非常に歩きづらかった。
石倉峠は通行止めで迂回指示、40分ちかくロスしました。
数々の茶屋跡と古道らしい木立を楽しみながら、小口集落へ到着。
集落の自販機で水分補給をします。自販機はこのあと請川まで出てこないので注意。
開けた車道に出るので標識を見落とさないようにしたいところです。

雪の照り返しに常緑樹が映えて綺麗。「百間ぐら」手前で林道を横切ります。
「百間ぐら」はたしかに見晴らしのいい場所なのですが、期待したほどの景色ではなかった。
請川に出ると幹線道路にでます。自販機やコンビニもある。
ここで補給するといいでしょう。

いよいよ熊野大社に近づき胸が高鳴る。
しかし大斎原の小祠は、きたる元旦に向けて祭事が行わる為、人工的なテントに囲われており味気がなかった。
南から敷地内の参詣路に入ると順路が逆になり、巨木の参道を通り巨大な鳥居が出口になってしまう。
本宮大社で目当ての「皆地笠」と「ヤタガラスの熊野鈴」を購入。本宮参拝後、裏手にある歴史ある裏鳥居から住宅地を少し歩き、林の古道へと入ります。三軒茶屋跡までは山というより散歩道。道の駅まで出て、ここで野宿します。

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■小辺路~そして果無集落へ
昨日よりは山道らしい山道に入ります。すっかり雪景色、十人十色の微笑みを浮かべる観音様の存在に癒される。 雪が思いの外深く、今度はゲイターの底のベルトに雪が絡みつき手間取る。
果無峠のピークでは、膝まで埋まる積雪量。寒波なめてました。
それでも雪の小辺路は石畳がみえずとも美しく、「果無集落」は写真でみた夏の風景とはまた違う、侘しさと郷愁を喚起させました。
ホテル施設「昴の郷」から三浦峠登山口までは10キロ近い舗装路が続き、左右に住宅が続きます。十津川温泉の方は小辺路ではないので、間違わないよう気をつけるべし。今回の旅は、このままのペースだと休暇が足りないことが判明し、ここで終了し、古道脇の駐車場で野宿しました。

三浦峠~伯母子岳はいつかリベンジしたい。
翌朝「日本一長い路線バス」にのり五條へ向かう。道中の「日本一長い吊り橋」で運転手さんが休憩をとるので、一声かけて写真を撮りに行く。野営場や避難小屋が少ないのが、冬は厳しい。街道沿いのトイレが全て清潔に整えられ、自販機がちょうどいいタイミングで、集落や登山口にあるのは助かった。一番嬉しいのは、地元の方が「お疲れさま」などと声をかけてくれること。ピンポイントでバスに乗り移動してしまうのは勿体ないとつくづく感じた。 古道歩きは登山とはまた違う趣がありました。
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2021年12月/熊野古道②中辺地・熊野速玉神社~那智大社~熊野大社 [熊野古道(三重・和歌山)]

熊野速玉大社

熊野三山の一つ、熊野速玉大社へ。 さっぱりと清々しい空気のなか、日本一の巨樹といわれる梛(なぎ)の巨木が印象に残りました。 旅人はこの梛の葉をお守りとして旅したそうです。宝物館が開館していなかったのが残念ですがそもそも閲覧する時間もなかったかもしれません。 hayatama02.jpg 速玉01.jpg

■補陀落山寺

バスで那智駅まで移動し、まずは補堕落山寺へ。乱世の時代に平和祈願のため、高僧が即身成仏として小舟に乗り、冥土と考えられていた海へ出航したという。その「渡海船」が復元され展示されていました。当たり前ですが、本物は出航しているわけですから現存しないのですね。小舟には戸が打ち付けられ、中から開けられないようにしていたという。実際、恐怖で脱出した人がいなかったのかどうか…そんなことを邪推してしまいますが、非難しているわけではなく、それほど常人には信じられない行いだと思います。

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■尼将軍の墓

那智大社まではバスに乗らずに古道を歩きます。車がビュンビュン走る大通りの舗道が続きますが、峠を越え山間部の集落地へ差し掛かるころ、途中で「尼将軍の墓」という標識が出てきます。この尼将軍とは源頼朝の妻、北条政子のこと。
源頼朝と妻の政子は熊野信仰が厚く、古道に三十三観音を奉ったり、大門の両脇の杉や神倉神社の石段も奉納したそうです。尼将軍の墓とは実際に彼女が埋葬された場所ではなく、いわば供養塔です。

少し遠回りに感じるかもしれないけど、古道の一部なのでスルーせずに行った方がいい。なぜなら初めて「古道」を感じる路だと思ったから。家の裏山という風情の入り口にわくわくしました。
あまり歩かれていない様子の、少し荒れた短い林を抜けると綺麗な墓所に出ます。すぐに集落にでますが、その道はまっすぐに山に向かって道が伸びているので迷うことはありません。景観と氾濫の対策で大規模な河川の工事が行われていました。舗装路のところどころには参詣者のためのトイレと休憩所が設けられており重宝します。
また、道の左右に熊野の神々の子の化身を祀る「王子」がありました。

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■那智大社・那智飛瀧神社・青岸渡寺


憧れの那智大社。パンフレットなどに使われる「大門坂」の夫婦杉は見事。
ここで、地元の歴史に詳しい方に話しかけられました。大門坂手前にはあの南方熊楠が逗留したという旅館跡があり、ここで粘菌などの研究に没頭したそうです。
熊野では明治の神仏分離令でたくさんの宿坊が潰れ、頼朝が安置した観音像も危うかったとか。
神仏習合という特異な文化がの名残と歴史が、危うく破壊されるところでした。
大門坂を抜けるとお土産屋と駐車場の通りに出ます。石階段を上ると左手に那智大社、右手に青岸渡寺。
同じ敷地に厳かな寺と清涼感のある神社、全く雰囲気が違います。

補陀落山寺の僧侶の一人が青岸渡寺に移動されていました。私たちが歩いている間に車で移動したそうです(笑)。
那智の瀧をご神体として扱う「飛瀧神社」にはうっすら短い虹がかかり、昨日までは少なかったという水が豊富に流れていました。ちなみに那智大社から瀧までは同じ敷地と呼ぶにはまあまあの距離があるし、標高差もある。

気になったのは繁忙期ではないからといって閉まっている店が多かったこと。営業している飲食店は外のテーブルで食べる設えのところが多く、寒風の中落ち着いて食べられる雰囲気ではない。遠路はるばる訪れる観光客も多いのだから、HPでは営業と書いておきながら実際営業しないなど、やめてもらいたい。調べてきたのが時間の無駄になる。

今回は古道歩きでトレッキング仕様できたため歩き続ける方が暖かいと思い、腹をすかせたまま休まずに古道に入る。
那智高原で一休みしてから大雲取越へ出発。いよいよ古道歩きだと胸躍る。石畳はなく勾配も緩い山道。
舟見茶屋跡からは海が臨めました。地蔵茶屋跡まで林道に入ったり出たりします。
夜は無人の休息所で休みます。自分たちで担いできた名物「詣で餅」やミカンなどを楽しみました。 大門坂.jpg
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2021年12月/熊野古道①中辺路・神倉神社 [熊野古道(三重・和歌山)]

https://www.shinguu.jp/spots/detail/A0002

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神倉神社

青春18きっぷで半日以上かけ、初の熊野・新宮駅へ。
ホテルにチェックインしたあと、名物「めはり寿司」を食べに行く前に、神倉神社へ詣でました。
ここは熊野のなかでも最古級の歴史をもつ神社で、熊野三山の形成される端緒となった場所。
麓からもその威容をみることができる巨石「ごとびき岩」は、熊野権現が一番最初に降りたった岩だという。

で結局、熊野権現とはなんぞやということになるのだが、「権現」というのは仏教が渡来してから「本地垂迹」思想が確立してからの呼び名なので、神話に連なる神としての名というにはふさわしくない。
結局のところ、主祭神は家津美御子(スサノオ)・速玉(イザナギ)・牟須美(イザナミ)とのこと。
現在は、三神をまとめて熊野三所権現と称します。

ごとびき岩自体がご神体だが、寄り添うように建てられた社には、神武天皇に神剣を献上したという高倉下(たかくらじ)という土地の者が祀られている。 なんやかやと色々と神格化されて合祀されているので複雑だが、日本の神社には八百万が祀られているのであまり気にしていると先に進めない。

ごとびきは現地の方言で「がまがえる」の意味だというが、翼をたたんだフクロウの背中に見えた。野趣あふれる石段は源頼朝が寄進したもので、かなりの勾配があったが、その威容がいかにも神秘的で気持ちが高揚した。新宮の夜景は夜空に瞬く星のようにちらちらと控えめに輝き、美しかった。

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